自己否定が強い私がよもや自分をチヤホヤするようになるとは
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
悪戦苦闘、試行錯誤の末。
自己否定が強い私が、「一人ぼっちな私」との対話を経て、「自分をチヤホヤする」方法にたどりつきました。
「居場所がない」と感じる「一人ぼっちな私」
居場所が用意されていても、けがれた存在である私には、その場にいる資格がない。
「居場所がない」と感じるのは、私が、そう思い込んでいたからでした。
自己否定が強い私ならではの思い込みです。
そして、「居場所がない」という感覚を探っていくと。
ふと、高校生のころの思い出がよみがえってきました。
母が、朝寝坊をくり返す私に腹を立て、私を怒鳴りつけた、という場面。
ナオミの弟(1歳年下)は、ちゃんと早起きするのに、ナオミは朝寝坊ばかり。
ナオミの妹(9歳年下)だって、ナオミほど、ぐうたらじゃない。
ナオミの弟や妹は、ちゃんと結婚するだろうけど、ナオミみたいにぐうたらな人間は、結婚できるはずがない。
ナオミは、誰からも相手にされずに、孤独死するのよ。
母は、私の将来を心配し、私を鼓舞したかったのでしょう。
ですが、幼いころから、出来の良い弟と比較され、ダメ出しばかりを受けてきた私は、「やっぱり、私はダメな人間なんだな」と思うばかり。
高校生のころに感じた悲しい気持ちが胸に広がります。
家にも、学校にも、私の居場所はない。
この世にポツンと一人ぼっち。
おやおや、この「一人ぼっち」な感じは、幼いころから馴染みがある感覚なのですね。
「居場所がない」と感じることの根底に、「一人ぼっち」な感覚があることに気づきました。
※「居場所がない」のは、自分の思い込みであったことに気づいた過程については、こちら。
「一人ぼっち」だった「内なる子ども」の願い
「一人ぼっち」な感覚を抱いている存在に話を聞いてみよう。
私は、私の心の中にいる存在を「7人のキャラクター」として認識しており、自己理解とセルフケアに役立てています。
実は、ひとり一人が何歳ぐらいか、どんな性格や役割があるかに思いをはせながら、ビジュアル化し、名前をつけているのですよ。
なので、「一人ぼっち」を感じている心の中のキャラクターと、話をしてみようと思い立ったのです。
「一人ぼっち」という感覚をじっくり感じていくと、私の中の傷ついた子ども(内なる子ども=インナーチャイルド)から発せられているみたい。
この3~4歳ぐらいの女の子に、私は「きいちゃん」と名前をつけています。
その「きいちゃん」と対話をしてみることにしました。
対話をするときは、ゆっくりと深呼吸をしながら、目をつぶり、今自分に起きていることに意識を向ける「マインドフルネス」の状態になります。
そして、「一人ぼっち」で悲しんでいる「きいちゃん」の存在に意識を向け、声をかけていくのです。
きいちゃん、一人ぼっちな感じがしているんだね。
一人ぼっちは、寂しいし、悲しいよね。
きいちゃんは、一人で頑張ってきたんだね。
そんな風に声をかけていくと、「きいちゃん」の悲しみが増幅し、胸が苦しくなります。
でも、「きいちゃん」の気持ちに共感していくうちに、悲しみがおさまっていき、落ち着いていきました。
すると、「きいちゃん」が、自分の願いをポツリとつぶやきます。
みんなにチヤホヤしてほしい。
「みんな」と言ってはいますが、「きいちゃん」が一番チヤホヤしてもらいたい人は、私の母。
母に認められ、可愛がられ、愛されたかったのです。
とはいえ、その願いがかなうことがなかったから、チヤホヤしてもらいたい対象が「みんな」に移っていったのだなあ。
いずれにしても、「きいちゃん」、つまり、私の「内なる子ども」の願いが分かりました。
※心の内面をキャラクター化して考えていることについては、こちら。
自分で自分をチヤホヤしてみる
とりあえず、「きいちゃん」の願いをかなえてあげよう。
そう思い、「きいちゃん」をチヤホヤしてみることにしました。
結局は、自分で自分をチヤホヤするんですから、大人からみれば、謙虚さに欠けた、バカげた方法。
でも、子どもの願いをないがしろにするのは、何だか、忍びないではありませんか。
とりあえず、「内なる子ども」を別人格のように扱い、チヤホヤしてみることにしたのです。
私は、またもや、「マインドフルネス」の状態になって、「きいちゃん」のビジュアルを思い描き、声をかけていきます。
具体的には、私がその日にした仕事や家事を取り上げ、「よくやったね。偉いよ」などと、褒めちぎるのです。
チヤホヤされて満足した「きいちゃん」が、喜んでホクホクした感じになると、面白いことが起きました。
私の心の中にいる、他のキャラクターたちも、「私もチヤホヤして」「僕もチヤホヤしてほしい」と、次々と現れてきたのです。
天真爛漫な3~4歳の女の子、「なおちゃん」。
集めた知識や情報をもとに考えを練る10歳の男の子、「なおぞう君」。
敵を警戒し、闘い、任務を遂行する11~12歳の少年兵、「ソルジャーなお」。
ご縁や偶然の必然を大切にする年齢性別不詳な存在、「なおさん」。
常識や節度を重んじて苦言を呈する成人女性、「タカハシさん」。
私が失敗すると容赦ないダメ出しをくり出す8~9歳の女の子、「なおなお」。
ひとり一人を褒めちぎり、チヤホヤすると、全員がホクホクと喜んでいるのが伝わってきます。
すると、私自身の心も満たされていき、「一人ぼっち」な感じがやわらいでいきました。
「居場所がない」という感覚も薄くなっていき、「私が居場所だと思えば、そこが居場所」なんて、図々しい考えも広がっていきます。
自分で自分をチヤホヤすることで。
「一人ぼっち」「居場所がない」という感覚がやわらぎ、気分が楽になりました。
自分をチヤホヤすることの意義とコツ
自分をチヤホヤすることの意義
「自分をチヤホヤする」ことは、「自分で自分を承認する」ということ。
つまり、自分自身を認め、受け入れることができれば、「一人ぼっち」の感覚がやわらぐのです。
裏を返せば、自分が自分自身を承認できないから、「一人ぼっち」になってしまう。
そして、「一人ぼっち」の感じを解消しようとして、周りの人たちの承認を渇望する。
でも、自分が思い描くような承認が得られないから、「一人ぼっち」の感じが強くなり、さらに周りの人たちの承認を渇望する、というネガティブスパイラルにはまっていく。
まるで、自分で自分の首を絞めているみたい。
多くの人は、幼少期に、親などの身近な大人から承認されるという体験を重ねて、自分自身を承認する感覚を育てていきます。
私は、「母から承認されなかった」という感覚が強すぎて、自分を認め、受け入れる感覚を育てることができなかったのでしょう。
ですが、年齢を重ねるとともに、自分なりに成長している部分や強みがあるはず。
私の場合は、自分の心の内面を探り、キャラクター化し、対話をするというやり方で、「自分で自分を承認する」ための方法に行きつきました。
自分をチヤホヤするときのコツ
私が「自分をチヤホヤする」ときに、難しかったこと、私なりに工夫したことは、次の点です。
気持ちの安定をはかる
気持ちが不安定で、「自分はダメな人間」という感じが強く出ているとき。
とてもじゃないけど、自分で自分をチヤホヤするなんてこと、できるはずがありません。
まずは、気持ちの安定をはかることが先決です。
気持ちが不安定なときに、私が取る方法は。
①「慈悲の瞑想」を唱える
②今している動作に意識を向ける(マインドフルネスの状態になる)
③四の五の言わずに寝る
工夫を施しながら、気持ちの安定をはかったうえで、自分をチヤホヤしています。
※「慈悲の瞑想」については、こちら。
※今している動作に意識を向け、「マインドフルネス」の状態になるための方法については、こちら。
「内なる子ども」をチヤホヤする
自分で自分をチヤホヤすることは、ハードルが高すぎる。
そう思いますよね。
そもそも、日本では「謙遜の美徳」が尊ばれているので、自分で自分を褒めることは、良しとされない文化があります。
自分で自分を褒める人を、「あの人は傲慢だ」などと、後ろ指をさす人さえいるかもしれません。
そんな文化の中で暮らしていれば、自分で自分をチヤホヤすることなど、気が引けてしまって当然です。
しかも、私のように自己否定や自責の思いが強いタイプの場合。
自分で自分をチヤホヤすることは、さらにハードルが高くなります。
だってね、私にダメ出しをする部分が、私のことをクソミソにけなしてくるんですから。
こんないい年の大人になって、自分で自分をチヤホヤするなんて、バカじゃないの!
謙虚さも、品格も、あったもんじゃない!
恥を知れ!
そのため、「等身大の大人の自分」ではなく、「自分の中にいる幼い子ども」に声をかける、という設定にすると。
私にダメ出しをする部分も、「小さな子には、優しくしなくちゃだよね」と同意してくれます。
「等身大の大人の自分」をチヤホヤするのではなく、「内なる子ども」をチヤホヤすると、取り組みやすくなります。
いやはや、自己否定が強い私が、よもや自分をチヤホヤする日がくるとは、夢にも思いませんでしたけどね。
今回、書かせていただいたことは、私なりのやり方なので、全ての人にフィットするかどうかは、微妙です。
ですが、「こんなやり方もあるんだな」と思っていただき、自分なりのやり方を見つける糸口にしていただければ、何よりです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。