母からうとまれて育った私が生まれ変わってみるという実験【私が自分を生きるまで㉖】
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
仕事などで自信を失ってしまう根底に、「母からうとまれる私。母からかわいがられる弟」という、幼いころからの体験が影響していることに気づいたため。
生まれ変わったらどうなるか、思考的な実験をしてみたところ、驚きの結果が得られました。
自信を失ってしまう根底にあるもの
職場で、新しいスタッフ(Aさん)に引け目を感じることについて、自分自身を深掘りしていったところ。
母からうとまれる私。
母からかわいがられる弟。
そんな幼いころからの体験が、私より仕事ができるAさんにオーバーラップして、しんどくなってしまうことに気づいたのです。
そして、仕事ができない自分に対して、やりきれない思いを抱いている根底には、こんな考えが潜んでいました。
私は、生まれながらの不良品。
能力に欠けるし、人柄もよろしくない。
だから、母に怒られてばかりなんだ。
母に嫌な思いをさせるぐらいなら、生まれてこなければ良かった。
私が、生まれる前に、ちゃんと頑張らなかったから、不良品になって生まれてしまった。
生まれる前に、もっと頑張れば良かった。
こうした信じ込みが発動すれば、やりきれないし、悲しくもなります。
もちろん、母は母なりに、私に愛情をかけてくれていたことは分かっています。
ですが、私の心の中にいる幼い子どもは、母のお気に入りになることに執着しているんです。
「母のお気に入りになることは、あきらめろ!」と説得しても、納得してくれないんでね。
その幼い子に付き合っていくしかありません。
生まれ変わってみるという実験
「生まれながらの不良品」という信じ込みがある限り。
自分よりできの良い人を見ると、引け目を感じ、自信を失い、「どうせ私なんて」とウジウジする。
こうなったら、私の心の中にいる幼い子どもに、とことん付き合っていくしかない。
自己探究オタクである私は、「ハコミセラピー」を使って、自己探究を続けることにしました。
「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピーです。
「マインドフルネス」とは、ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくこと。
「マインドフルネス」の状態になると、顕在化した意識が静かになっていき、無意識(潜在意識)にあるものが立ち現れてきます。
そのため、言葉を交わす心理療法より、無意識の深いところに手が届き、問題解決の糸口が見えてきたり、自分が本当に求めているものが何であるかが分かってきたりするのです。
「ハコミセラピー」の個人セッションを行う際、私がクライエントとなり、セラピストの誘導のもと、マインドフルネスの状態になります。
そして、徐々に浮かんでくるのが、「私は、生まれながらの不良品」と泣いている、幼い私の姿。
泣いている子に、何か、してあげたいことはありますか。
セラピストに、そう問われると、私の頭の中に、あるアイディアが浮かびました。
母に気に入られている弟の遺伝子をもった私が生まれたら、どうなるか。
すると、セラピストが、新たなアイディアをくれます。
あなたの遺伝子をもった弟さんが生まれたら、どうなるでしょうか。
私は、視覚優位というか、イメージを浮かべるのが得意なタイプなので。
マインドフルネスの状態を維持したまま。
「弟の遺伝子をもった私(女児)」「私の遺伝子をもった弟(男児)」が誕生し、母がどう関わっていくか。
イメージを使って、思考的な実験を試みることにしました。
驚きの結果に
私は、生まれながらに不良品だから、母にうとまれていた。
つまり、弟の遺伝子をもった子どもは、母からかわいがられる。
私の遺伝子をもった子どもは、母からうとまれる。
そのような予想を立て、イメージワークに突入しました。
弟の遺伝子をもった女の子
第一子として女の子が生まれると、母は、赤ちゃんが元気に生まれたことを喜んだものの。
父(夫)の願いをかなえられなかったと感じ、ガッカリしています。
父が、「第一子は男の子!」と決めてかかり、男の子の名前まで用意していたからです。
ところが、父は、自分が言ったことを忘れてしまったかのように、大喜び。
早速、女の子に「ナオミ」と名づけ、猫かわいがりします。
これまでは、職場の人との付き合いがあるなどと言い、夜遅く帰ってきたのに。
仕事が終わると、速攻、帰ってきて、娘をずっとひざにのせています。
食事をとるときも、お風呂に入るときも、トイレに入るときも、ずっと一緒。
母は、娘をかわいく思う一方、面白くありません。
第一子が男の子ではなかったことに責任を感じていたのに、父はすっかり忘れている。
しかも、父が娘を猫かわいがりする姿に、嫉妬さえ感じてしまう。
成長した娘は、性格も穏やかで、誰にでも優しく、よく気が利く、絵に描いたような良い子です。
さらに、家事も手伝うし、勉強も頑張るので、誰からも褒められます。
ですが、母は、違います。
娘が、気が弱くて泣き虫なところ、病弱なところを、ネチネチ、ネチネチと、ケチをつけていくのです。
まるで、あらさがしをして、意地悪をする、シンデレラの継母みたいに。
弟の遺伝子をもった女の子は、母の餌食になっていました。
私の遺伝子をもった男の子
母は、第二子に、待望の男の子が生まれたことで、大喜び。
父が準備していた名前をつけ、父に褒めてほしくて、ワクワクしていたのですが。
父は、上の娘ほど、男の子をかわいがりません。
父のために男の子を生まなくちゃと意気込んでいた母は、肩透かしをくらったような心境になります。
余計に、第一子の女の子を、憎らしく思うようになりました。
成長した息子は、かなりのワンパク坊主。
虫をちぎって遊ぶ、屋根の上から腐った柿の実を道路に投げつけて、近所に人から怒られる。
家のお手伝いは面倒くさがり、母の言いつけは忘れてしまう。
ですが、母は、怒りません。
「男の子は、ワンパクなぐらいがいいのよ」ですって。
私の遺伝子をもった男の子は、良い子からは、ほど遠いのですが、母からかわいがられていました。
母のお気に入りの基準を知る
「生まれ変わったら」という思考的な実験を行った結果。
イメージの中で起こったこととはいえ、予想とは全く異なる状況が展開し、ただただ驚くばかりでした。
そして、生まれ変わりのイメージワークの後に、ふと、思い出したことがありました。
母の死後に、妹が、母にひどい言われようをされ、ずっと苦しい思いをしていた、と訴えていたことを。
私には1歳年下の弟のほか、9歳年下の妹がいます。
私の妹は、記憶力がよく、勉強もよくできたので、母から大切にされていたと思っていました。
私は、弟だけでなく、妹とも比較され、いかにダメな人間であるかを、母にとつとつと説かれていたのでね。
ところが、母が作った兄弟間のカーストがあったのです。
母にとって、弟が殿上人で、私と妹は底辺の人間。
つまり、男の子はかわいくて、女の子はかわいくない。
母のお気に入りの基準は、能力、人柄は全く関係なく、あるのは男女の違いだけ。
その気づきが、心と身体に染みていくと、さらに、思い出したことがあります。
父が第一子は男の子と決めつけていたという話を、母から聞いた、幼いときのこと。
母が笑いながら言っていたのです。
ナオミは、生まれる前にちゃんと準備をしていなくて、おちんちんを忘れて生まれてきたから、女の子になっちゃったの。
でも、〇〇(弟)は、生まれる前にちゃんと準備をして、おちんちんをもって生まれてきたから、男の子なのよ。
私が、「生まれる前に、ちゃんと頑張らなかったから、不良品になって生まれてしまった」と信じ込んでいるのは、この母の発言が影響しているかもしれません。
母にうとまれて育ったのは、私が生まれながらに能力に欠け、人となりに問題があったからだ。
そんな信じ込みが、揺らいでいく。
職場でも、他者に引け目を感じることが減っていく。
とはいえ、私の中に、「男の子に生まれたかった!」と嘆き悲しんでいる部分もあるんですけどね。
今後、どう展開していくのか、自己探究を続けていきたいと思っています。
「母からうとまれて育った私が、弟の遺伝子をもって生まれ変わったら」という思考的な実験をおこなったことで、母のお気に入りの基準は、男女の違いだけということに気づきました。
無意識で感じていることがイメージに反映されているんですから、無意識の豊かさに、さらにビックリです。
あと、生まれ変わりのイメージワークは、自己探究が進んだ今だからこそ、取り組めたと感じています。
無意識のどこかで、「私が悪いんじゃない」と感じていなければ、とてもじゃないけど、恐ろしくて取り込めない。
弟の遺伝子をもって生まれた私(女児)が、母からかわいがられて育つ様を見たら、絶望の底なし沼にはまりますからね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※職場の同僚に引け目を感じてしまう根底にあるものに気づいたことについては、こちら。
※母なりに私に愛情をかけてくれていたと気づいたことについては、こちら。
※「生まれてこなければ良かった」という思いに、別のアプローチをしたことについては、こちら。