愛情に欠ける残念な自分が愛情深い人間になるためにやれること
愛情に欠ける自分が残念でならない私。
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきたからこそ、自分にも、他の人たちにも、愛情を注げる人間になりたいのかもしれません。
自分を生きるために、試行錯誤、悪戦苦闘を重ね、自己探究オタクとなった私が、愛情深い人間になるためにやれることについて考えてみました。
私には「あわれみ」しかない
私は愛情に欠ける人間だ。
そう思ってガッカリする自分がいます。
実は、数年前、友だちに言われたことが、胸に残っているんです。
あなたがしているのは、あわれみ。
つらい状況にある友だちに元気になってほしいと思い、お宅を訪ねたときに、言われたこと。
私は、「上から目線であわれまれているように感じる」という、否定的なニュアンスを込めて言われた気がしました。
自分自身を愛せないから、他の人に愛情を与えることができない。
愛情に欠ける自分について、とことん自己探究したところ。
出てきたのは、そんな結論でした。
私は、幼いころから、出来の良い弟と比較され、ダメな人間だと母に罵倒されて育ってきたのです。
しかも、母の言動を、そのまま取り入れ、自分にとことんダメ出しをする部分が生まれてしまいまして。
ダメな自分をむち打ち、母に認められるような立派な人間に矯正しようとする、健気な気持ちが根底にあるとはいえ。
常に、自分のあらさがしをして、自分を責め抜いている私にとって、心の底から自分を愛することなど、無理難題です。
※自分が愛情深い人間ではないと気づいたことについて、詳しくはこちら。
「愛情」はどこから生まれるのか
私が愛情深い人間になるのは無理なのかな。
それでも、自分を愛する人間になってみたい。
周りの人たちに対しても、愛情深い人間になりたい。
自分に自信がないからこそ、素敵な自分になりたいという願いがあるのです。
そんな、ある日、古くからつきあいのある友だちと、ランチをする機会に恵まれました。
その友だちは、私から見ると、とても愛情深い人。
一緒にいると温かい気持ちになります。
彼女に、私の素朴な疑問を投げかけてみました。
あなたが、周りの人に愛情深く接しているから、いいなあと思っている。
私とは、何が違うんだろう。
優しい彼女は、私が愛情に欠けた人間であるとは、言いません。
ただ、彼女の言葉が、私の心に響きました。
私は、相手のことが好きなだけだよ。
大げさかもしれませんが、私は雷に打たれたような思いになりました。
まるで、愛情の根源にあるものを教えてもらったような感じ。
愛情を生み出すのは、相手のことを好きだと思う、純粋な気持ちなんだ!
純粋な気持ちは誰にでもある
彼女とのやり取りの後、ふと思い出したのが、ダイアログ・イン・ザ・ダークでの体験でした。
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、視覚障害者のガイドのもと、完全に光を遮断した暗闇の中で、視覚以外の様々な感覚を使ったり、コミュニケーションを楽しんだりする、ソーシャル・エンターテイメントです。
本当に何も見えない真っ暗な空間で、音、手ざわり、においなどで、周囲の状況を把握していきます。
私は、本当に楽しくて、ワクワクしっぱなし。
ご一緒している参加者たちのことが、好ましく思われ、ハートマークが飛びまくる感じ。
ところが、暗闇での体験が終わり、明るい空間へ出て、互いに感想を述べあっていると。
腹の底から、どす黒い感じが浮かび上がってくるではありませんか。
参加者は20代の若者ばかり。
私のようなおばさんと話したい人なんて、いないに違いない。
暗闇の中に90分ほど滞在し、感覚が鋭くなったからでしょう。
普段は、あまり意識しない感じに、ハッキリと気づいたのです。
自分の中にある純粋な「好き」という気持ち。
自分の中からわいてくる、不純な考えや気持ち。
不純なものが、「好き」の働きを抑え込んでいるのではないか。
思い返すと、不純な考えや気持ちは、日常生活でも浮かんでいます。
たとえば、好ましく感じている周囲の人たちに対しては。
- 相手に嫌われたくない。
- 他の人より、私のことを大切だと思ってほしい。
一番大切に思っている息子に対しても。
- 幼いころに私が体験したようなツライ思いを、息子にはさせたくない。
- 息子には、誰よりも幸せになってほしい。
つまり、不純なものが、「好き」の働きを抑えているから、愛情が生まれないのです。
愛情深い人間になるために必要なこと
相手を純粋に好きだと思う気持ちは、どんなものだろうと考えてみました。
赤ちゃん、幼児、ペットなどの動物が、周囲の人に向ける「好き」という気持ち。
要するに、考えや願いが付随していない気持ち。
誰でも、もっている気持ち。
考えや願いといったものは、一見するとネガティブなものに見えるかもしれません。
私も、「不純なもの」なんて言ってますからね。
ですが、全て、私にとっては、大切な思いです。
たとえば、周囲の人たちから大切にされたいと思うのは、「立派な人間になって、母に認められたい」という、幼い私の願いがあります。
息子には、かつての自分を重ねて、「自分を幸せにしたい」という、私の願いがあります。
ただ、願いが強いがゆえに、暴走し、相手を純粋に好きだと思う気持ちが活躍する場を奪っているのです。
一見すると不純なものに見える考えや願いは、幼少期の心の傷から生まれたもの。
つまり、幼少期に、愛されたという実感がもてなかったから、心が傷ついている。
そうであるなら、周囲の人たちから愛情を得るという体験を重ねれば、幼い私の心は満たされ、しずまっていくのではないか。
すると、純粋に相手を好きだと思う気持ちが、のびのびと活躍し、そこから生まれた愛情が、自分や周りの人に注がれていくのではないか。
そう考えた私は、「ラビング・プレゼンス」を実践することに決めました。
一人でも手軽に取り組むことができ、「愛情」を感じることができる方法だからです。
ラビング・プレゼンス
「ラビング・プレゼンス」とは、目の前にいる相手の存在から、愛を受け取り、味わうことです。
方法は、とっても簡単。
知らない人や、街で見かけた人を選んで、実践するのが、オススメです。
身近な人だと、相手によっては、日頃の恨みつらみが出てしまいますので。
②「マインドフルネス」の状態になる
目をつぶって、ゆっくりと深呼吸をしながら、「今、この瞬間」に起きていることに、意識を向けていきます。
③自分に言葉をかける
マインドフルネスの状態になり、心も身体も落ち着いてきたら、心の中で、次の言葉を自分自身にかけます。
このあと目を開けると、今の自分にとって必要な何かが流れ込んでくる。
私は、それを受け取り、いい感じを味わうことができる。
そして、「何が流れ込んでくるかな~」と、ワクワクした気持ちをもちます。
④一瞬、目を開く
心の中で自分に言葉をかけたら、パチッと目を開き、選んだ相手を、1秒ほど見ます。
そして、すぐに目を閉じます。
⑤ここちよい感じを味わう
目を閉じたら、ここちよい感じが、自然にわき起こってくるのを待ちます。
ここちよい感じが起こってきたら、どんな風にここちよいのかを、じっくりと観察しながら、味わいます。
「ラビング・プレゼンス」は、とてもシンプルな方法ですが、相手から愛情を得るという体験をすることができます。
これまで、「ラビング・プレゼンス」を知っていながら、気が向いたときや必要なときにしか、実践していなかった私。
愛情深い人間になる日を夢見て、日課の1つとして、「ラビング・プレゼンス」を取り入れることにしました。
私と同じような心境にあるあなたも、ぜひ、お試しくださいね。
※「ラビング・プレゼンス」について、詳しくはこちら。
誰でも、愛情のもとになる「好き」という感性をもっています。
ですが、心に傷があると、自分を守るための思いが暴走し、「好き」という感性が発揮される機会が奪われてしまうんです。
幼少期の心の傷を癒すためには、周囲の人たちからの愛情が必要。
「ラビング・プレゼンス」というシンプルな方法を用いれば、心の傷が癒され、愛情深い人間になれるのではないかと考え、実践を重ねていきます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。