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大キライだった配偶者と楽しく旅行ができるようになったのは

母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。

「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。

悪戦苦闘、試行錯誤の末。

死を願うほど大キライだった夫と、楽しく旅行ができるようになりました。

 

死を願うほど夫が大キライ

 

私は夫が大キライでした。

 

結婚したのは、2005年の4月。

結婚した当初は、それなりに仲良くして過ごしていたものの。

夫のペースに振り回され、次第に私がしんどくなっていきました。

 

夫は、欲しいものがあるとガマンができない。

お金がなくなると、「ナオミが働けば大丈夫」と言い張る。

仕事をクビになっても、失業手当や就学援助を受けない。

2年間の無職の後、やっと正社員の仕事が決まったのに、「残業代が出ないから残業しない」と言い張り、契約社員に格下げ、給与も半減。

 

経済的な不安にさいなまれ、私が必死に働くしかありません。

私が、仕事、家事、育児に追われ、疲れ果てていても、夫は自分のやりたいことにお金と時間をつぎ込みます。

育児や家事を手伝ってほしいと頼んでも、「平日は仕事で忙しいんだ!」と言い張るばかり。

 

結婚してときが経つにつれ、夫に対する信頼は失われ、顔を見るだけで、声を聞くだけで、全身に悪寒が走るようになりました。

 

もちろん、夫との離婚を何度も望みました。

ですが、夫は、猛反発して、話し合いすらできません。

小学校高学年になった息子が、「お母さんは一人でも生きていけるけど、お父さんはダメだと思う」と言うのを聞き、離婚をあきらめた私。

 

それでも、夫のことがキライでたまらず、夫が病気や事故で死ぬことを、心から願っていました。

 

夫との旅行は地獄だったはずなのに

 

平日は、夫が仕事から帰宅する頃に就寝する。

休日は、研修会などを入れる。

夫と顔を合わせる時間を極力減らし、何とか生活していた私。

 

そんな私にとって、夫との家族旅行は、逃げ場がありません。

しかも、夫のペースに、嫌と言うほど振り回されるのですから、まさに地獄です。

 

幼い息子が楽しめないから、美術館や博物館は旅行のプランに入れないでほしいとお願いしても、夫は、自分が行きたければ、絶対に聞き入れない。

飽きてしまった息子を連れて、知らない街をトボトボ歩いて時間をつぶし、一人で泣いたこともありました。

 

そのうえ、夫は、計画性がないので、旅程は行き当たりばったり。

時間がなくて、食事を抜く、全力で走り回るなんてことは、当たり前。

旅先で、私、息子、夫自身も、体調を崩し、吐いてしまうこともよくありました。

私が文句を言うと、夫は自分がいかに間違っていないかを力説するので、大ゲンカになります。

私が息子と二人で旅行に出かけると、夫が激怒するので、手に負えません。

 

息子が中学生になり、親と一緒の旅行を嫌がるようになってから、家族旅行には行かなくなりました。

それまでは、息子に様々な体験をさせたいという思いだけで、ガマンを重ね、夫と旅行に出かけていたのです。

 

とはいえ、夫は、私と一緒に出かけたがります。

仕方なく、ここ数年は、私が行きたいところに、夫が付いてきて、口出ししないならOKというスタンスで、一緒に出かけることを許可していました。

 

ところが、2025年。

夫と二人で、大阪万博に行くことになりました。

どうしても大阪万博に行きたい夫が、「一緒に来てほしい」と懇願したので、仕方なく。

 

案の定、夫は、自分が行きたいパビリオンのことしか考えておらず、それ以外は、ノープラン。

会場の端から端まで何往復もさせられたり、パビリオンに入るために何時間も並ぶことになったり。

 

ですが、私はといえば、精神的には、ノーダメージでした。

それどころか、それなりに楽しめたのです。

 

私に何が起きたのか、考えてみました。

 

私に起きていたことは

 

夫との旅行を楽しめるようになった私に、起きていたのは。

 

私が、自己探究の末、自分の心の中で起きていることを理解し、自分を大切にできるようになったということ。

 

私は、自分の生きづらさを解消したいと願い、心理学科のある大学に学士入学して以来、粘り強く自己探究を続けてきました。

そして、「心は集合体」という認識にたどりついたのです。

 

「心は集合体」とは、私の心の中にいくつもの存在(キャラクター)がいて、相互に関係しあいながら、私の心の在り様を形作っているということ。

私は、自己探究の過程で、自分の心の中にいくつものキャラクターがいることに気づき、姿、性格、役割を思い描き、名前をつけていったのです。

 

私の心の中にいるキャラクターたちの様子を観察し、対話をするような感じで、自己理解を深めるうちに。

気づいたことがあります。

 

私を責める存在も、私を守ろうと必死に頑張っているに過ぎない。

 

そんな風に気づくと、心の中にいるキャラクターたちが愛おしくなり、ひいては、自分を大切に思えるようになりました。

 

結婚当初は、自己否定が強く、夫に言いたいことが言えなかった私。

せいぜい、感情的に言い募るだけだったので、夫に言い負かされて終わっていた私。

 

そんな私でも、「心は集合体」と認識すると。

 

客観的に自分の思いを把握できるようになる。

自分自身のことも大切に思えるようになる。

夫に対する関わり方にも余裕が生まれる。

 

そうしたことが、次々と生じていったのです。

 

私の心の中で起きている存在たちのやり取り

 

夫と大阪万博に行った際も、「心は集合体」という認識が大活躍!

 

それを如実に感じたのが、夫の言動にカッとしたものの、夫と仲直りができたとき。

以下に、「自分だと意識している部分(主人格)」と、「私の心の中にいる存在(キャラクター)たち」のやり取りを再現してみました。

 

大阪万博に興味がないけれど、せっかく来たのだから、楽しもうと考えた「私(主人格)」

「なおちゃん」という天真爛漫な女の子を開放し、「めいっぱい楽しんでおいで」と声をかける。

「ソルジャーなお」という任務を遂行する少年兵に、「楽しむ任務を遂行しよう」と声をかける。

「なおちゃん」「ソルジャーなお」が協力し、興味がもてないパビリオンで、めいっぱい楽しむ。

 

ところが、夫が、「次のパビリオンの予約があるし、つまらないから、もう出よう」と言い出す。

「きいちゃん」という傷つきやすい女の子が、「頑張って楽しんでいたのに、否定された」とショックを受け、しょんぼりする。

「なおなお」という学級委員キャラが、夫をボロクソにけなし始め、「てめえとなんかと、二度と旅行に行くもんか!」と激怒することで、傷ついた「きいちゃん」を守ろうとする。

 

しばらくすると、「なおぞう君」という冷静に考える男の子が、「あの人(夫)は、計画性がないために、時間管理ができず、相手の気持ちを察する能力がないために、心無いことを言うだけだ」と言い出す。

タカハシさん」という常識を重んじる成人女性が、「以前、あの人(夫)には、困ったときに助けてもらったことがある。恩を受けたら返さないといけない」と言い出す。

 

すると、「なおなお」の怒りが、すっとひいていく。

「なおぞう君」が、「あの人(夫)に、謝ってもらえばいい。『俺の計画性のなさ、思いやりのない言動のために、嫌な思いをさせてしまって、ごめんなさい』と言ってもらってはどうか」を提案する。

 

私が、心の中で起きていることを、そのまま夫に伝えると。

夫は、「なおぞう君」が指示した通りの謝罪の言葉を述べた後、「『きいちゃん』『なおなお』、ごめんなさい。『なおぞう君』『タカハシさん』、ありがとう」と言って、仲直りができました。

 

「心は集合体」という認識をもつと夫婦関係も改善する

 

傷ついた女の子(きいちゃん)は、インナーチャイルドとも言われ、母との関係によるトラウマを抱えています。

 

夫の言動をきっかけに、「やっぱり私はダメな子」と思いがちな、「きいちゃん」の嘆き悲しみが大きくなる。

傷ついた女の子を守ろうとする存在(なおなお)が、夫を攻撃したり、開き直ったり、自暴自棄になったり、私自身を責めたりと、なりふり構わず、奮闘する。

「なおなお」が暴走すると、夫との関係がギスギスするし、私自身も苦しくなる。

 

夫との関係が悪くなり、夫のことが大キライになった根底には、そんな流れがありました。

 

ところが、「心は集合体」という認識のもと、心の中にある存在を、距離を取って観察するうちに。

 

自分だと意識できている部分(主人格、セルフ)がしっかりしてきて、心の中にある他の存在の声を聞くゆとりができる。

夫の言動に傷つき、感情的に言い返すこと以外の選択肢が増える。

 

つまり、「心は集合体」という認識をもって、自分の心の中を眺めていくと、自分自身の行動レパートリーが増え、夫との関係改善がはかられるようになったのです。

 

また、自分の内側で起こっていることに加え、「心は集合体」という認識でいると。

夫の心の中にいるキャラクターたちも、ぼんやり見えるようになってくるではありませんか。

 

楽しいことが大好きで、陽気な男の子。

その男の子を守るために、自分の意見を周囲にゴリ押しする、頑固なおじいちゃん。

私の場合、男の子は一緒にいて楽しいから好きだけど、頑固じじいはキライ。

 

そんな風に夫を見ることができるようになると、「全部がキライ」から、「一部がキライ」になりました。

そのお陰で、死を願うほど大キライだった夫のことも、それほどイヤではなくなっていったのです。

 

「心は集合体」と認識し、互いを理解するようになったので、夫婦関係が改善していきました。

 

とはいえ、私の考えや思いを伝えると、夫が理解を示すようになっていったことも大きいと思います。

私の自己理解が進んでも、夫が受け入れなければ、関係が悪化し、破綻したでしょう。

 

 

今回は、「心は集合体」という認識でいると、自分も、相手も理解しやすくなり、関係が改善することについて、お伝えしました。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

※「心は集合体」という認識をもち、自分を大切にできるようになったことについては、こちら。

※「心は集合体」という認識で、自分の心の中の存在たちを思い描いてみたことについては、こちら。

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